君はノンフィクション

来世もオタクがいい

生半可な恋

今年の夏で、28歳になった。7年ぶりに恋をしている。
冷やかし半分で行ったHiHi Jetsのコンサートで、作間くんに恋に落ちてしまった。
作間くんは、15歳である。(現在はお誕生日を迎えて16歳になった。)

誤解を受けても仕方ないが、基本、私の恋愛対象は年相応の異性である。上は35歳ぐらい、下は23歳くらいまで。恋愛対象についてあんまり考えたことがないほど、同世代以上の異性しか好きになったことがない。

更に言えば、アイドルに対して、恋愛的な目で見る事はほぼ無かった。熱愛が出ても「そりゃそうですよね」と思えるタイプで、アイドルオタクをやるのに向いてるな、と自負していたが、このザマである。

恋をしている相手を見ている時と、「自担」や「推し」を見ている時の感情は明確に違う。
「自担」や「推し」を見る時の気持ちは、どんなにエモーショナルな高まりを覚えても、やはり一観客としての感情だ。私は自担である伊野尾慧の事を愛している。愛してるとはっきり言えるけれど、その気持ちは結婚したいとか、付き合いたいとかいう気持ちには繋がらない。

それは「自担」への愛は、愛着に近いからだと思う。自然を愛する気持ち、故郷を愛する気持ち、思い出を大切にする気持ち。自分が好きな景色を守りたい、という環境保護に近い視点なのかもしれない。
実際は一オタクとして「自担」を守れる力などほぼないが、矜持は持っている。

一方、作間くんに対して、どんな感情を抱いてるかというと、完全に恋である。シンプルに恋。単純に恋。
一目惚れとまではいかないものの、実際好きになる相手や仲良くなる友人との第一印象は印象的で、何かこれから良いことがあるようなワクワクする気持ちがいつもあった。

初めて彼を間近で見た時、Hey!Say!JUMPの「スクールデイズ」のイントロが頭の中に鳴り響き、なぜか顔に優しい風を感じた。多分あれは中島健人さんのいうところの、"Loveの風"だったと思う。
とにかく、自担や推しに抱く感情とは違う、28歳生身の女としての剥き出しの感情がそこに落ちてきた。

勿論、最初はなかなか受け入れられなかった。相手は15歳だ。15歳って。自分が15歳の時なんか、自我とか芽生えてなかった。
でも、初めて作間くんを見た時、「なんか結婚した記憶ある」とも思ったのだ。正確には「同い年の作間くんと大学時代から付き合って結婚した記憶ある」と思った。
ガチ恋した男が15歳という事実をうまく受け止められず、好きな男の過去を見ているという感覚で15歳にガチ恋することにした。

ガチ恋としてもこれは邪道だと言う自覚はある。でも現実が見られる人間なら、はじめから15歳の男にガチ恋なんてしないのだ。

作間くんのことを何も知らない。アイドルとしての作間くんもそうだし、そうじゃない作間くんのことなんて何もわからない。

でも、例えば自分の身近にいる人間が、私のことをちゃんと理解しているというわけでもない。
この世が三次元である以上、それぞれ自分の視点からしか物事は見ることができない。それに、そもそも恋に「相互理解」は必要なのだろうか。哲学的な考えに至ってしまう。

それでも、作間くんに恋してから、楽しいことがいっぱい増えた。服を買うのも、メイクするのも楽しくなったし、女性ホルモンが分泌されているようで、伊野尾慧のオタクになってから顎に生えるようになった太めの毛が生えなくなった。aikoを聴いて共感できるようになったし、季節の移り変わりを実感できるし、出来るだけ、楽しいことや嬉しいことを考えられるようになったし、仕事の愚痴を言いたくないと気を引き締められるようになった。汚い言葉を使わないように気をつけるようになったし、日常の些細なことを楽しめるようになった。

要するに、恋をしている状態が楽しい。自分が恋に対してこんなにポジティブ気持ちを持てるなんて考えてもいなかったけれど、人を好きになる気持ちを改めて思い出すことができて、嬉しい。

今一番怖いのは、この恋が叶わないことではなくて、この感情が無くなることだ。私は28歳なので、恋愛感情が無くなる、ということを身をもって知っている。

昔、私が今の作間くんぐらいの年齢だった頃、好きなバンドマンがいた。田舎の喪女女子高校生だった私は漠然と「こういう人が彼氏だったらな」なんて物思いに耽っていた。ライブに行くくらいしかしなかったが、ほんのりとしたガチ恋を抱いていた。

それから10年後、東京で働くようになった。いつものように山手線に乗ったら、目の前にガチ恋してたそのバンドマンがいた。
正直、もうその当時全然追ってなかったけれど、好きだった当時の面影があって、なんとも言えない気持ちになった。
ただ、「人生ってこういうことがあるんだな」としみじみと思った。

現実の作間くんとどうこうなることなんて、天文学的な確率だろうけど、人生が思わぬ方向に行くことはこれまでの人生で実感しているので、死ぬまでこの恋を諦めたくない。
もしかして、よぼよぼのおばあちゃんになった時に、おじいちゃんになった作間くんと偶然出会うかもしれない。その日までこの恋を諦めずに楽しく生きようと思う。

最後に、全てのガチ恋している人に捧ぐ名言を紹介します。

ーーーもしかしたらどこかで出会って、付き合って、結婚するかもしれない。だから、無理に好きな人を作らなくてもいいと思う。ただ、今少しでも好きだなって思う人が現れたらその恋をつかみに行ってほしい。今に勝るものはない。遠い未来より、まずは今を大事にしてほしい。オレはゴールで待っているから。
by中島健人(POTATO 2017年4月号 健人のおいでよ恋愛保健室より)