君はノンフィクション

来世もオタクがいい

震えて眠れ

 

 『勝手にふるえてろ』、を観た。


 観終わった後に震えが来て、帰りに寄ったカレー屋で泣き出しそうになった。
もう二度と観たくないくらいの、いい映画です。

《あらすじ》

芥川賞作家・綿矢りさによる同名小説の映画化で、恋愛経験のない主人公のOLが2つの恋に悩み暴走する様を、松岡茉優の映画初主演で描くコメディ。OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れるが……。

 自意識と共感性羞恥に殺されそうになりながらも観終わって、タナソーのKid Aレビューみたいになりながら帰りこれを書いている。(注1)

 私は映画を単なるオタ気質女子のラブコメと捉えられなかった。
恋愛よりも、もっと根幹のアイデンティティを揺るがしてくる物語だ。

 頭の中でただひたらすら物事を考え続けていくのは、実はすごく快感だ。
ヨシカはその快感にすごく酔っていて、普段大人しくて、同僚や同窓会ですらうまく振る舞えないくせに、それが出来る自分のことを特別だと思ってる。
「わたしなんか」と常々言う癖に、自分を特別な存在として扱ってもらいたがってる。

 頭の中でずっと幸せをくれるイチと、現実で自分を特別扱いしてくれるニが実際現れて、くるみちゃん曰く「ヨシカを絶対傷つけない」ニと付き合うか、それとも一番好きな相手のイチを貫くかで揺れる。実は選択権なんてほとんど無いのに揺れる。

 ヨシカの脳内に召喚されるイチがまた良い。
タクミくん、DISH//推しの友人が「タクミ生みたい」と言ってたイメージが強かったけど、すごく大人になっていた…。
あれを中学時代に浴びていたら、「もうこれで生きていく、恋愛しなくていい」って思う。直視出来ない神々しさがあった。

 ヨシカが、イチと本当に付き合えるんじゃないか、ってターニングポイントは、宅飲みの時にいくつかあって、あのイジメを告白された時と、絶滅した動物について話した時。
あそこでうまく巻き返せば、仲良くなれるはずだった。

「中学時代に君と友達になりたかった」って、あところのヨシカにとって最大級の賛辞だったと思う。
たとえ名前を覚えられてなかったとして、あそこで上手く次に繋げられれば、イチを"他者"として扱えられれば、現実のイチとの未来もあったはずだ。

 でもヨシカにはそれができなかった。
イチが自分にとってそうだったように、中学時代のヨシカもイチにとって"特別"な存在でいたかった。そうでありたいというより、"そうでなければいけない"レベルだったと思う。
だからあそこでヨシカは心折れてしまった。

 10年の片思いは、最初は可愛らしい初恋だったろうけれど、その時間と、ヨシカの頭の中での自問自答の末、イチは単なる脳内彼氏なだけでなく、神様に近い存在になっていた。

 失恋や、人との別離の後、別れそのものも辛いけれど、その人と居たことによる習慣も失うことって相当辛い。
ヨシカにとってイチは内面化されていた分、アイデンティティを失うぐらいの辛さがあったはずだろう。

 この一連の描写がアイドルオタクとしてまっったく笑えなくてしんどかったです。
何回も笑いながら「いのおちゃんたすけて〜」って思ってたもん。

ヨシカにとってイチは同級生だったけど、抱く感情はオタクとアイドルに置き換えてもおかしくない。
わたしは自担の伊野尾ちゃんに対してガチ恋の感情は抱いてないですが、心の何処かにいつも住んでいるような存在、自分にとって都合の良い存在を失うとはとてもつらい。
そして、相手のことを見てるようで、結局自分の事しか愛してない。そういうところを突きつけられて自意識が死にました。

 終盤で「この10年絶対無駄じゃなかった」ってヨシカがブチ切れながら言うの、心の底から共感してしまった。
太宰に共感する人の気持ちが少しわかった。
恋愛だとわかりやすく付き合う、結婚するがゴールとして見えやすいけれど、ヨシカにとってイチはもう単なる恋愛対象ではない、信仰の対象、人生の一部になっていた。

 アイドルオタクに限らず、オタクをやっていると「対象が居なくなったら、かけた年月や金が無意味になってしまう」みたいな揶揄を受けることがあるけど、そこは自分の意地にかけても、「無駄じゃなかった」と思いたい。
そういう気持ちに近い感情が、ヨシカの雄叫びから伝わってきた。受け取り方間違っているだろうけど。

 イチがヨシカの内面化された存在として描かれているのに対し、ニが最初から最後まで"他者"として描かれているのが面白かった。
ヨシカにニがとって気にくわないこと、予定外のことばかり起こすのも、ヨシカのまわりの頭の中の人々との差が如実に表れていたし、他者から見たヨシカが、ヨシカにとってのニなのかもしれないというのがまざまざと感じられた。

 最初から最後までニは他者だったけど、最後の方でようやくニ自身の考えを吐露していった時、ヨシカは自分だけが物事を考えてるわけじゃないと、初めて理解したと思う。
偉人じゃなくてもいい、というのはヨシカにとっては逃げの言葉だろうけど、本当に必要な言葉だった。


 あとこの映画、衣装が本当に絶妙で楽しかった。
古着っぽいテイストで、垢抜けてるとは言い難いけれど、こだわりは確実にある、というのがヨシカの面倒臭さが表れていた。
なんかよくわかんないけどかわいい毛糸のキャップとか…大中で買った?

 履き古してペシャンコになったミネトンカと、ボルドーのエナメルのパンプスが、相手に対する感情の対比になってるのも見事だった。
飲み会のシーンで、ヨシカペッシャペッシャのミネトンカと、くるみちゃんのヒールの足が並んでるのもグッときた。

 そして何と言っても松岡茉優ちゃんのあの暗い発声、怖かったです。
身に覚えあるし、何人か周りにいる。
そしてあの表情筋の使い方の下手さ…あれを演技でやってるんだから怖い。
桐島、部活やめるってよ』であの嫌なスクールカースト上位の女の子を演じた人と思えない表情筋…。コミュニケーションが下手な人特有の目の表情の無さも、リアルで怖かった。




 まあ、エンドロールまで観て、最後の最後に頭の中に白抜きの文字で「現実に救済はない!」と浮かんできたんですよね。私には中学時代のイチも、現在進行形のニも存在しない!さて、これを観た後どうするか?という現実が突きつけられて死ぬかと思った。いのおちゃんたすけて〜。

ジャニーズオタクらしく、次はジャニーズのことを書きたい。おわり。


注釈1